2 サーカスと少年
次の日、朝食を食べてすぐに清隆は隣村に出発した。
といっても実際に村まで歩くわけではなくて、途中の道でアリウスか召使いに「声」が届かないか試すのである。もっとも、相手が寝ているか気を失っていなければ大丈夫だろう。
『アリウス、アブドル、どっちか聞こえるか?』
しばらく待っていると、アブドルが反応した。清隆は内心ほっとした。
『……清隆様、今までどうしたんですか!?』
『すまない、途中の滝で足が滑って……怪我はないからよかったけど』
清隆は二人とはぐれる寸前、滝のすぐ近くを歩いていた。二人の後ろにいた清隆は急に勢いを増した流れにさらわれて、そのまま意識を失ってしまったのだった。どうもそのまま滝に流されてしまったらしく、気がつくと川に浮き沈みしていたのだった。
『そうでしたか…いつの間にかいなくなっていてびっくりしました。それで今どこに?』
『千草県山根村にいる』
『隣の県じゃないですか、あ、でもそんなに遠くないですね』
『アリウスは?』
清隆は召使いにたずねた。
『寝てます。いま七星県(ななほし)の志染(しじみ)町って港町なんですけど、そこの旅館に泊まってます』
志染町は本来の目的地である宮城県仙台市へ行く途中の街だった。たぶん清隆も本当なら今頃はそこで休憩していたのだろう。
『私もすぐそっちへ向かいたいんだが、今世話してもらっている人たちに使いの者を待っていると言ってしまったんだ。アブドルだけでもこっちに来てくれないか、途中まででもいい』
そのままこっそり抜け出してくるという手もないわけではないのだが、清隆はこういうところが妙に律儀なのだ。
『いいですけど、たぶん僕が来るといったらアリウス様もきますよ』
『それならそれでいい』
話はだいたい決まった。あとはアブドルがアリウスに話すだけであるが、おそらく彼も一緒にこちらへ来るだろう。
『では、遅くても5日以内には着くと思います。近くに来たら連絡しますね』
そうして「声」は途絶えた。といっても、もともと清隆以外の者には聞こえないのだが。
「さて、しばらくどうしようかな」
清隆が帰らなければならない時間まで、まだ間があった。
隣村まで、清隆が駆け足すれば一時間くらいだろう。
そこであやかしの話を聞いて回ろうか。
「……いや、人に聞くよりも」
今の会話に反応したあやかしがこの近くをうろついているかもしれない。
そもそも人の思考をのぞけるというあやかしが、念話を盗み聞きできるのかは未だにわからない。しかし万が一ということがある。
清隆は森の中を散策し始めた。古い墓や古寺、古民家のような「かつて人が存在していた場所」をさがしていたのだ。
誰も人が行かないような森の中、山の中にいるあやかしは、そもそも積極的に人と関わろうとしない存在である。ただそういった連中はいったん怒ると恐ろしい。かつて「荒ぶる神々」とよばれたのは、そういったあやかしのことだ。
人里と人跡未踏の地の間にいるあやかしは、それらとは違い、もう少し積極的に人と関わろうとしている者たちだ。彼らは独自の考えで、人に近づき、友好的な者もいれば、単に人を利用とする者もいる。
すなわち、清隆たちの同業者と言えなくもない。
厳密には違う。清隆たちは完全に人里でしか暮らせない。しかしテリトリーが重なる以上、トラブルは避けられないと考えていた。
「……さっきから着いてきているな、隠れても無駄だ」
清隆が立ち止まると、あとからついてきた足音も少し遅れて止まる。
それ以外の反応はない。清隆は再び歩き出す。
なるべくあやかしと喧嘩をしたくはなかった。今は一人だし、武器もない。
清隆は覚悟を決めて振り向いた。しかし道ばたにいた、いやあったのは大きな漬物石だった。
「それで化けたつもりか?」
清隆の「目」には漬物石からふさふさしたしっぽが飛び出しているのがはっきり見えた。そしてそっと近づくと、革靴のつま先で尻尾を軽くつついた。
「ひゃっる」
と、奇妙な叫び声をあげて石が正体を現した。清隆はその獣が狢(むじな)であるとわかった。
「どうして私についてきたんだ、狢?」
あわてて岩影に隠れた狢に、清隆は声をかけた。
「……変わった格好しているから、何か珍しいものでも持ってないかなと思って」
狢は岩影から頭だけ出して答えた。どうもまだ子供のようだ。そしてどうやら清隆のことは人間と思っているらしい。
「じゃあこれあげるからもう家に帰りなさい」
清隆はポケットにあった予備のボタンを狢の元に投げた。
「わあ」
狢の子は珍しそうにボタンを拾い上げた。それを見て清隆の気がちょっとだけゆるんだ、そのときであった。
ごん、と清隆の頭の後ろで鈍い音がして、意識が遠のきそうになった。
(しまった……親がいたか!!)
清隆はかろうじて意識をつなぎ止めて、地面に倒れずにすんだ。そしてすぐさま後ろを振り返った。
そこには清隆の二倍はありそうな、巨大な獣がこっちを見ていた。獣はギョロリと金色の目で清隆をにらむと、とがった爪を清隆に振りかざしてきた。
(あぶない……!!)
あわてて清隆は木々をかいくぐりながら獣と距離をとる。しかしこのままでは反撃できない。
(それにしても……妙だな)
あんなに鋭利な爪を持っているのに、最初の一撃で清隆は傷一つ受けていなかった。もしかしたらあの姿も狢の変身なのかもしれない。
「確かめてみるか」
清隆は立ち止まると意識を集中した。
集中して、自分の意識につながっている「一本の筋」をたどる。
その先は清隆が流されたときの河原につながっていた。
「……来い、我が半身!!」
清隆は置き去りにしていた自分の武器に呼びかけた。
しかしすぐにやってくるわけがない、その間にも巨大な狢の爪が振るわれ、清隆に直撃した。
「ぐ……」
殴られたような鈍い感触はあったが、やはり爪のそれではない、清隆は地面に転がりながら確信した。
清隆が起きあがるとほぼ同時に、黒いケースが空から飛んできて清隆の足下に落下した。同時にケースが壊れて、中から一本の日本刀が転がり出た。
「確かめてみようか、爪の正体は棍棒か岩か、そんな所だろう?」
清隆が日本刀に触れてからの動きはとても鮮やかなものだった。
流れるような動きで刀を鞘から抜き、次の瞬間、狢の右腕のそばにいた。そして上から腕をたたき落とすように切りつけたのだ。
「ぎゃあああっ!」
ごろり、と落ちた腕は、次の瞬間細長い岩に変化していた。岩の先には小さな獣の手が付着していた。
悲鳴の主は清隆の目の前にいる親狢だった。先ほどのような巨大な姿は幻覚で、正体はふつうの狢の大きさをしていた。
「うううっ……」
狢は手を失って相当痛がっているようだ。
「そっちから先に手を出したのだろう。痛がっても無駄だ」
清隆はそっけない。
「うう…まさか刀を持ってくるとは…おめえなにもんだ!」
「知らないなら知らなくていい」
清隆は刀を血溜まりに沈めた。そうすると刀は生き物ののように脈打ち、血を吸い取っていった。
「……まあ獣の血だが、無いよりましだ」
「あ、あんたひとじゃないな……」
親狢は子狢をかばいながら、清隆から数歩身を引いた。
「その通り。だが君たちと争い事をする気はない。今回は不意打ちをされたから仕返しただけだ」
「む……」
「我々は平穏に暮らしたいと思っている。だから争いごとはできるだけ避けたい。人里で我々のような者に出会ったら、できる限り関わらない方がいいと忠告しておく」
人里こそ、我々本来の「狩場」だから……
清隆はそういい残して、狢の親子と分かれた。
夕方近くになって、清隆は山根村に戻ってきていた。
ただの旅行者が刀を持ち歩いている訳には行かない。清隆は半身である刀を山に埋めてきた。村を離れるときにまた取りに行けばいい。
地蔵の近くに、村の子供たちが集まっていた。しかし祐介の姿はない。
「なんてかいてあるの?」
3歳くらいの少女が、一番背の高い少年のもっていたちらしをのぞき込んだ。
「サーカスがくるんだってさ!」
「さーかすって?」
「外国の見世物みたいなもんで、いろんな芸や変わった物が見られるんだ!」
子供たちの会話を聞きながら、清隆はまっすぐ祐介の屋敷に向かっていく。
「おかえりなさい清隆さん、電報は出せましたか?」
井戸で水を汲んでいた祐介が顔を上げた。
「ああ。お手伝いかい」
清隆は祐介と桶の水に交互に目をやる。
「はい」
「そうか、偉いね」
清隆が言うと、少年はうれしそうに笑った。
「いえ、大したことではないです」
「いやいや、ほんとに私が同じくらいの頃は手伝いなんかせずに遊び回ってたよ」
先ほどの子供たちのように。と、いうべきか清隆は悩んだ。
もしかして祐介はこの村の子供たちとあまり親しくないのかもしれない。だってずっと勉強しているのだから、一緒に遊ぶ暇もないだろう。
「どうしましたか?」
黙ってしまった清隆を見て祐介は不思議そうに尋ねた。
「……いや、ごめん。しばらく暇だからどうしようかな、と思って」
「じゃあ明日は、よろしければ異国のこと、いろいろ教えてください」
祐介はそう言って微笑むと、桶を抱えると家の中へと入っていった。
そして次の日、清隆が目を覚ましたのは朝もだいぶ過ぎてからだった。
「うん……?」
祐介の姿が見えない。広い家の中を探し回っていると、庭に立って何かの紙を見つめている祐介を発見した。
「……裕介君?」
「あ、おはようございます」
祐介は清隆に気がつくと、紙をあわてて隠した。
「それ、サーカスのチラシだね」
「え、何で…」
「きのう同じものを見ている人を見かけたから」
よかったら見せてほしい、と清隆が言うと、祐介はチラシをそっと清隆に手渡した。
チラシは非常に簡素な内容で、
「山野サーカス団がもうすぐ山根村に参ります
十月一日 お楽しみください」
という文と、ピエロの挿し絵、開催場所の地図、時間が書いてあるだけだった。
「サーカスか……私も小さい頃、見たことがある。一回だけだけど」
「小さい頃ということは、イギリスでですか。いいなあ、きっと素晴らしいんでしょうね」
「祐介君、サーカスに興味あるのかい?」
「それは……もちろんです。でもぼくは行けないと思う」
そう言うと祐介はうつむいてしまった。
「どうして?」
「父が厳しいから。でも父は僕に期待しているから厳しいってわかってるんです。だから今日も家で勉強してます」
サーカスの開催日十月一日は、今日であった。
「……勉強は悪い事じゃない。しかし本の中だけで知識を蓄えるのに夢中で、身近なものにぜんぜん触れないのはどうかと思うな」
「……」
清隆の言うことは正しい。しかし親子の関係というのは正しいことだけではすまないのだろう。
「よし、私がお父上に話を付けてこよう」
「ええっ!」
祐介は驚いたような顔をした。そこまでしてもらうのは少し想定外だったらしい。
「なに、私はお父上から君の教育を頼まれているからね。社会科見学も大切だと進言するだけさ」
そう言って清隆は、祐介の父がいる書斎へと向かっていった。
「ふむ、サーカスねえ」
清隆から渡されたチラシを眺めながら、祐介の父はつぶやいた。
「祐介君はとても勉強熱心な子ですが、たまには変わった物を見て息抜きするのも大事だと思いますよ」
「まあ、そうかもしれないな。あの子は少し、根を詰めすぎるところがあるから……」
「じゃあ、サーカスにつれてっていただけますか」
清隆がそう言うと、祐介の父は首を振った。
「もちろん、つれて行ければいいんだが、今日はあいにく出かけられない用事があるんだ。もしよろしければ、清隆さんがサーカスに祐介を連れていってくれないか?」
「そう言うことでしたら、わかりました」
清隆はほっとした。もっと反対されるかもしれないと、内心では不安だったのだ。