仮想冥界 出張所

3 幻灯機
 サーカスは夕方から始まるとのことで、祐介と清隆は夕食を食べてから家を出た。
「こんな時間に家を出たのは初めてです」
 祐介は少し楽しげな調子で言った。ふたりは村はずれの森の近くの広場にやってきていた。そこがサーカスの会場だった。
 会場には木の板でできた簡単な舞台がおいてあり、すでに村中の子供たちが集まってきている。
 子供たちは祐介を珍しそうに見る者もいたが、基本的に気にしてない様子である。祐介は少しほっとしたようだ。
 見物客が座れるように、地面にござが敷いてあったので、祐介も一番端に座ることにした。清隆は少し離れた木の影で立って見ていることにした。
 そうしているうちに、辺りはだんだん暗くなってくる。

「みなさま、みなさま、よくおいでくださいました」
 
 舞台の奥から声が響いた。よく通る男性の声だった。
 姿はまだ確認できない。
 先ほどまで騒いでいた子供たちがおとなしくなった。
 広場の周りにいつの間にか用意されていた提灯の明かりがともる。
 最後に舞台の端に用意された一番大きな提灯に明かりがつく。明かりはゆらゆらと揺れて狐火を思わせた。
 
 太鼓と吹奏楽器による楽しげな音楽が響き始める。
 舞台の後方で演奏している模様だった。
 そして、舞台にシルクハット、スーツ姿の男性が上がってきて頭を下げた。
「ようこそ、山野サーカスへ。私は団長の山野です。今宵はどうぞ存分にお楽しみください」
 提灯の明かりはそれほど強いものではなくて、団長の顔もはっきりとは見えないが、祐介の父くらいの年齢だろうか。
「それでは最初の演目は、こちら! 綱渡りです!」
 団長が挨拶している間に舞台には二つの櫓が組まれ、そこに一本の綱が渡されていた。片方の櫓に道化師の姿をした少女が上り、観客に手を振る。
「それでは彼女が見事に綱を渡るのをご覧ください」
 
 祐介をはじめとした子供たちは、かたずをのんで舞台を見守っていた。清隆はそこまで舞台にのめり込んではいない。綱渡りといっても、この小さい舞台では団長の背の高さくらいが精一杯である。でも初めて見ている子供たちは真剣だった。
 少女は長い棒を持って綱を渡ったあと、今度は頭に水の注がれたお盆を乗せて、さらに往復して見せた。
 最後に彼女がお辞儀をすると、観客席から盛大な拍手が起こった。清隆が祐介の方を見ると、彼も夢中で拍手をしていた。
 
(どうやら楽しんでいるようだ。連れてきてよかった)
 
 清隆は安心して、のんびりとサーカスの鑑賞を続けることにした。
 それから犬や熊と言った動物を使った芸や、自転車による曲芸などが続く。特に変わったものはない。でも子供たちはとても楽しんでいた。
 夜も更けていき、サーカスの開演も終わりに近づいてきた。
 
 団長は楽団に指示をしていったん音楽を停止させた。
「次は幻灯機によるショーです」
 舞台の中央には白幕が掲げられた。そして白幕の前に見慣れない四角い機械が用意された。一見カメラにも見える。
「幻灯機?」
 子供たちは首を傾げた。清隆は見たことがあったし、祐介も名前くらいは知っているだろう。ガラスなどの透明な板に描いた絵を、灯りで大きく映す装置である。
 幻灯機を操作しているのは、最初に綱渡りをやって見せていた少女であった。今は道化師の化粧は落としている。
「こちらは、ヨーロッパの優雅な貴族たちの一日を描いたものです」
 外国の生活が描かれた映像が、絵巻物のように左から右へ流れていく。その描かれ方は、描いた人の想像も多く混じっていたが、和洋折衷の不思議な世界を作りだしていた。
「一日の終わりに、優雅な舞踏会が開かれます」
 映像が夜の舞踏会になると、楽団がそれにあわせてゆったりとしたワルツを奏で始める。
 子供たちはまるで本当の舞踏会に来ているように感じられただろう。
 
 ところが不思議なことに、音楽に合わせて映像がゆっくりと動いて見えることに清隆は気がついた。
 そんなことはあり得ない。音楽のせいで、昔の大学時代のダンスパーティを思い出してしまったに違いない。
 清隆はそう自分に言い聞かせていたが、どうも子供たちにも動いて見えるらしい。子供たちの中にざわめきが広がっている。
「すごい……」
 祐介もため息をつきながら、映像を食い入るように眺めていた。
 今はもう、舞踏会の絵は完全に音楽に合わせて踊っていた。一組のカップルがゆらゆらと舞いながら、画面を飛び出してきた。そして次々に絵の登場人物が画面から飛び出してくる。
「いったいどうやって動かしているのだろう」
 清隆はこんな幻灯機を見たことはなかったので、素直に疑問に思った。しかし提灯の明かりの中で貴族たちが踊る光景はどこか夢見心地で、考えがまとまらない。
 くるくる、くるくる、と貴族たちは観客を囲むように話を描きながら待っていた。子供たちはもちろん大喜びで拍手をしながら喜んでいる。
 
 そうしているうちに音楽が小さくなり、貴族たちが次々に画面の中へと戻っていく。最後に音楽が止まると、完全に動きがなくなり、そして映像は消えた。
「それでは、今夜のサーカスはこれにて終了です。みなさま、ごらん頂き誠にありがとうございました」
 団長が最後に挨拶すると、再び盛大な拍手が起こった。
 
「すごかったね!」
「うん、とくに最後のあれはびっくりしたよ」
「そうそう」
 子供たちが興奮気味に話しながら、村へと戻っていく。
「祐介君、そろそろ帰ろうか」
 呆然と立ち尽くす祐介に向かって、清隆が声をかけた。
「あ、すいません、少し待っていただけませんか」
「うん? わかった」
 祐介は舞台を片づけている団員たちの元へと向かっていった。
 
「あ、あの、すいません」
「あら、なにかしら?」
 幻灯機を操っていた少女が振り返った。
「さっきの幻灯機を、見せてほしいんです。仕組みが知りたくて……」
 祐介が遠慮がちにお願いした。
「そうね、ちょっと待っててください」
 少女は団長に何か相談していたが、しばらくすると先ほどの幻灯機を持って祐介のところに戻ってきた。
「はい、これ。でもごめんなさい。中を見せることはできませんの」
「そうですか。いえ、ありがとうございます」
 祐介は中がのぞけなくて少し残念そうではあったが、興味深そうに幻灯機を眺めていた。茶色がかった赤の古そうな幻灯機であった。カメラにも見える形をしていて、真ん中にレンズがあり、絵を差し込めるようになっていた。
「ここに絵を差し込んで、それから灯りをつけるんです」
「灯りはなんですか? 蝋燭? 豆電球?」
「それも秘密」
 少女は丁寧に祐介に使い方を教えてくれた。しかし幻灯機の仕組みに関係する部分はサーカス団の秘密らしく、最後まで明かされなかった。
「いろいろ聞いてすみません、とても興味深かったので」
「いえ、とても興味を持ってくれてうれしいですわ。そういえば名前を聞いてなかったですわね。あたしは山野八雲」
 サーカス団の団長も山野と名乗っていたので、親子か親戚なのだろう。
「高藤祐介です」
「高藤さんですね。こういう生活をしてるとあんまり友達ができないですから、今日はいろいろ話せて楽しかったですわ」
「いえ、こちらこそ……」
 祐介は少し恥ずかしそうに答えた。普段の内公的な少年に戻っていたと言うべきか。
「明日には村を出発しないといけないですけど、また来年になったら興行にくると思いますので、そのときまたお会いしましょう」
「……はい、よろこんで」

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