仮想冥界 出張所

4 発熱
 清隆は帰り道、祐介の様子が妙であると気づいた。
「祐介君?」
 清隆が何度か話しかけないと気づかない。何か物思いに耽っているようにも見える。
 それほど、幻灯機が魅力的だったのだろう。清隆はそう思って、それ以上は気にとめなかった。
 
 次の日、清隆が目を覚ますと体がだるい。
(ああ……、これは空腹のせいか)
 祐介の家で食事を食べていたが、清隆には実際のところ何の栄養にもなっていない。ここ数日間で清隆のとったまともな食事は狢の血だけだ。それも少量でしかない。
(でも、おかしいな)
 急に激しい運動をしたり、念力のような力を何度も使わなければ、ここまで急に空腹にはならない。それこそ数日間に一度少量の血で何とかなるはずなのだ。
 無意識に力を使っていたのだろうか。
 清隆はしばらく考えていたが、埒があかないので、空腹を何とかしてしまうのが先だと思った。
 ……といっても、適当に屋敷の人間に噛みついて血を吸うわけにもいかない。そんなことしたらこの小さな村で大騒ぎになってしまう。それ以前に清隆にはいわゆる吸血鬼的な牙がないので無理なのだが。
 
(山などで一人の人間をねらうのが一番いいのだが)
 そう簡単に目的通りの人間がいるとも思えない。
 清隆は覚悟を決めて、屋敷の人のいなさそうな場所を探し始めた。隠れた上で念波で近くの人間を呼び寄せて血を吸うことにしたのだ。
「……ここがいいかな」
 屋敷から少し離れた場所に、立派な倉があった。ちょうどいいことに扉も開いている。
 清隆はわずかに開いていた扉を押し明け、中へ飛び込んだ。
「き、清隆さん!?」
 ひんやりとした暗い部屋の中に、祐介の驚いた声が響いた。何か工作している様子だった。清隆が見回すと、工具などが室内に散らばっていた。
「急いでいたみたいですが、何かあったんですか?」
「いや……」
 清隆は曖昧に返答しながら、祐介の目をじっとのぞき込んだ。
(眠くなれ……記憶があやふやになるくらい……)
「なにか顔についてますか?」
 清隆が念を送っても、祐介は何事もないらしい。たまにこうした催眠術が全く利かない人間がいるらしいが、祐介もそうした体質なのだろうか。
「いや、というより、何かにじゃまされているような…」
 念は届くが、届いた先で何かに混ざるような妙な手応えを清隆は感じていた。
「どうしたんですか清隆さん、ぶつぶつ言って……そう言えば顔色も悪いかも…」
「いや、大丈夫、心配しなくていい。ちょっと君を捜してたんだ。そういえばここでなにを作ってたんだい?」
「あ、これ、昨日の幻灯機を見よう見まねで……」
 祐介は恥ずかしそうに木で作った箱のようなものを抱えた。
「なるほど、祐介君は手先も器用なんだね」
「そうでもないです。第一、昨日のような動く絵がどうすればいいかさっぱりで……」
 祐介はうつむきながら、昨日の様子を思い返しているようだった。残念そうでもあり、どこかうっとりしているようでもあった。
「ああ、あれは私も驚いたよ。きっと世界中でももっとも珍しい幻灯機だと思う」
 清隆はそう言いながら、相変わらず祐介に対して妙な違和感を感じていた。
 
 作業をじゃましては悪いと思い、清隆は倉を出た。
「清隆さん、祐介を知りませんか?」
 屋敷に戻ると、祐介の父があわてて飛んできた。
「村長さん、役場の仕事は?」
「もちろん仕事中ですが、学校の先生が祐介が来ていないって連絡にきたので探しにきたのです」
「…………!?」
 清隆は驚いた。祐介は学校をさぼっていたのだ。
「祐介君なら倉で工作してましたよ」
「なんと! 家にいたのですか」
 父は驚いて、そのまま倉へ向かって飛んでいった。清隆も心配なのであとをついていくことにした。もう空腹どころの騒ぎではなくなっていた。
 父の驚き具合からして、こんな風に学校を勝手に休んでしまうのは前代未聞のことなのだろう。
 
「祐介!」
 父は怒りながら倉の中へ入っていった。
 清隆は入り口に立って様子をうかがっていた。何か言い争いをしているようだった。
 
「何で学校を休むんだ」
「好きなことくらいさせてください」
 
 父がなんと言おうと、祐介に反省する色はみえない。
(うーん、あの礼儀正しい祐介君があんな事言うものかな……)
 
「わしは祐介にいい学校に行って、偉い人になってほしいだけなんだ。好きなことはそのあといくらでもできるだろう」
「そうやって、お父様は自分の価値観にぼくを縛ってきただけではありませんか」
 
 幻灯機が発端で、親子の仲が一気に壊れてしまうのではないか。外野の清隆は心配そうに様子を見守るしかなかった。
 
「……清隆様、清隆様ったら」
 清隆が考え込んでいると、いつの間にかスーツの裾を何者かに引っ張られている。
「今それどころじゃないんだ……ってアブドルか」
 清隆が振り返ると、十歳程度のターバンをかぶった少年がちょこんと立っていた。服装はアラブの王族風だが、顔立ちは西洋人に近く、銀色の髪がターバンからのぞいていた。
「早いな。近くに来たら連絡がくると思っていたが……」
「昨日から声をかけていたんですが、反応がなかったんで急いできたんです」
「うん?……まあいい、ちょっとここはまずいから移動しよう」
 二人は屋敷の裏の竹林に移動する。
「これ、途中の山中で草むらに埋まってたから持ってきました」
 アブドルは竹林につくと抱えていた黒い袋を清隆に渡す。中には清隆の刀が入っていた。
「ああ、ありがとう。ケースが壊れてしまったから丁度いい」
 
「清隆」
 別の声が竹林の奥から聞こえてきた。聞きなれた声だ。
「やあ、アリウス」
「無事でほっとしたよ。あんまり元気そうではないがね」
 濃い臙脂色のスーツを着た金髪の男性がそこにいた。肌は今の清隆よりずっと白くて石像のようでもある。長めの髪は後ろでゆるく束ねられており、丸い金縁の眼鏡をかけていた。
 アリウスは清隆の無事を確認すると、柔らかく微笑んだ。すると口元に白いとがった犬歯が光った。
「そちらも、無事でよかった」
「まあね。でも西洋人二人だけの旅行だと、地元の人がなかなか打ち解けづらいみたいでね。あんまり話が聞けなかったよ」
 アリウスはハハと軽く笑うと、なのでのんびり旅館で休んでいた、と付け加えた。
「ごめん、予定がいろいろ狂ってしまって」
「そんな人間みたいなこと言うなよ。二、三日余計な時間を過ごしてしまったからってこっちは何でもないんだ。『我々の時間は長い』のだからね」
 アリウスは外見に似合わないような無邪気な仕草で、清隆の肩に腕をおいた。
「……まあそうだな」
 清隆は村の住人には見せなかったようないたずらっぽい表情でクスリと微笑んだ。
「えー、清隆様、もう出発しますか?」
 端の方で黙ってやりとりを見ていた召使いアブドルが声をかける。
「いや、一応お世話になった人たちに挨拶してくるよ」
 清隆はそう言うと、刀の入った袋をアブドルに預けて、祐介の家にいったん戻ることにした。
 
 倉の前に戻ると、父の気配は見あたらない。祐介はまだ倉の中にいるようだった。
「祐介君、入っていいか?」
「どうぞ」
 不機嫌そうな様子の祐介の返事があった。清隆は入るのに少しためらったが、どうしようもないので入ることにする。
 倉の奥の机で、祐介は伏せていた。清隆が入ってきていることに気づいていたが、こちらに顔を向ける様子はない。
「あの、今さっき使いの者がやってきて、すぐに出発することになった」
「!? じゃあもう帰ってしまうんですか」
 祐介があわてて顔を上げた。部屋は暗かったが、清隆の目には祐介の顔に涙の跡が残っているのが見えた。
「そうだ。すまない、こんな慌ただしいときに」
「いえ、うちのことは気にしないでください……」
 そう言っているが、伏し目がちの祐介の目には未練が見られる。
「とにかく短い間だけど、世話になった。ありがとう」
「ぼくは大したこと何にもしてないです。最初の日もいつものように花を供えに行っただけで」
 そういえば、そうだった。
「でもその普段の習慣のおかげで、私はずいぶん助けられたんだよ」
「習慣ですか……」
 今にして思えば、親に言いつけられていただけなんですがね。と祐介は自嘲気味に笑う。
「もう別れ際だから言うがね。今日になってからの君はなんかおかしいよ」
 清隆はつい思っていたことを口にしてしまった。
「そうですか?」
 やはり祐介には自覚がないらしい。
 清隆は微妙な気分であったが、いつまでも話し続けているわけにも行かなかった。
「お父上にも挨拶してくるよ」
「もう役場に戻りました」
 それは残念だが、仕方ない。と清隆は言い残して倉を出た。
 
「おかえりなさい」
 アブドルたちのいる竹林に戻ってきたときは、清隆の足取りもどこか元気がないものだった。
「結構長い間話し合っていたね。それにその顔色は体調だけでもなさそうだ」
 アリウスは清隆の雰囲気から、ここ数日間になにがあったのか気になっているようである。
「そんな大したことでないよ。でも長い話になるから、道々話そう」
 清隆たちはそう言いながら、歩き始めた。

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