仮想冥界 出張所

5 猫の戯れ
「なるほど、祐介君という子が清隆をあの家に連れていってくれたんだね」
「そうだ。そこで……」
「後ろからガブリ、とか?」
「するわけないだろう」
 清隆は力なく笑った。アリウスの冗談は時に理解に苦しむ。そもそもアリウスの考え方や発想が清隆に比べて人間離れしすぎているからなのであるが……
「そういえば食事はどうしたんだ?」
 アリウスがふと思い出したようにたずねる。
「山にいた狢の血を少し頂いた」
「はあ、相変わらずというか……禁欲的だなあ」
 清隆の答えにアリウスは少しあきれていた。
 
「やはり父親が日本人だとサムライ的な感じに育つものかな」
「日本人全部がそうではないと思うが」
 アリウスはこれだけ日本に滞在していても日本=サムライのイメージなのだろうか。
「まあそれはいい、しかし君には魔眼があるだろう、適当な村人を催眠して少し血をもらっても構わなかったと思うがどうなんだ」
「ああ、そうしようかと思ったが、そういえば効かなかったんだ」
「なんだと?」
 アリウスが立ち止まった。
「村人全員にか?」
「そんな事しているひまないよ。今朝祐介君に試したときのことだ」
 清隆が言うと、アリウスは不思議そうな顔をした。
「そういえば、声を送ろうとして届かなかったのも今日の明け方ごろだ」
「何か関係あるのか?」
 清隆はそう言いながら、自分でも今朝のことを思い返していた。
「分からんな。清隆は少し腹が空いていたくらいで、極端に弱っていたわけでもないし……何か幻術をかけられていたとかだと別かもしれないが」
「幻術というと、狸や狐の」
「そう。あれは一種の催眠術みたいなものだから。まあ我々の魔眼もそうだけど。人間だったらずっとかかりっぱなしの幻術も、我々なら自らの再生力というのかな、それで放っておけば勝手に直る。それでエネルギーを使うわけだ」
 再生力とアリウスが形容した特性。これ以上に清隆たち「星族」を具体的に表すものはないだろう。いわゆる吸血鬼が不老不死と言われるように、アリウスたちも年齢に比べてだいぶ若い容姿をしていたし、大きなけがをしてもしばらくすれば直る。そうした再生する力のことだ。
「ああ、それで急に空腹になったのか……しかし幻術にかけられた覚えなどないぞ」
「なにか思い当たらないか?」
「幻術ではなくて、幻灯機ならみたが」
「なんだそれは」
 アリウスはきょとんとした。
「ガラスに描いた絵を投影する機械だよ。そんな珍しいものじゃない。たぶんアリウスもみたことがあるだろう」
「ああ、あれか……」
 アリウスは納得したようにうなずく。
「昨日行ったサーカスでその出し物が行われていたんだ」
「そうかそうか、村の子供たちは喜んだろうが清隆は退屈だったろう」
 アリウスはにやにや笑いながら清隆を見た。
「ところがそうでもないんだ」
 清隆は昨日見た幻灯機の出し物について、覚えていることをできるだけ丁寧に話した。
とくに貴族たちの絵が飛び出してきて、舞いながら観客たちの周りを待ったときのことについてである。
「……ばかな」
「しかし本当に見たんだ」
 清隆が言うと、アリウスは困ったような顔をした。
「幻灯機の構造なら分かる。要するに影絵だろ! そして色ガラスなら光を通すからカラーになる」
「まあそうだが」
 清隆がそう言うと、アリウスは片手をあげて指で狐の形を作る。そして自分の影を見ながら狐を動かした。
「陰を動かすには元を動かさなきゃならない。しかし描いた絵は動かない」
「たしかに」
「もちろん動く絵のおもちゃ、というのはある。表と裏に違う絵を描いてくるくる回す。それだけで目の錯覚で動いているように見える」
 だが、清隆が見た幻灯機というのはごくふつうの機械で、そんな絵を動かす機構はなかっただろう。とアリウスは言った。清隆は頷くしかなかった。
「そしてもう絵が飛び出すなんてなったらここまでの内容でも説明が付かない。これが幻術でなくて何だというのだ」
「じゃあ、あのサーカス団はいったい……」
 清隆は不安そうにアリウスのことを見る。
「さあな、つまり魔法を使う人間か人間以外だろう」
 
 そんな話をしているうちに、清隆は道の脇に見覚えのあるものを見つけた。
「あれは……昨日のサーカスの」
 大道具の積まれた荷馬車である。昨日サーカス団が舞台を片づけているときに見たものとそっくりだ。
「この寺に泊まってるのかね」
 アリウスが荷馬車の止められていた先の建物を見る。そこには蔦に覆われた古寺があった。
「だいぶ手入れが悪いお寺ですね」
 アブドルが古びた建物を見ていった。
「たぶん普段は誰も住んでいないのだろう」
 清隆が言った。時間は夕方近くになっており、寺の本堂の中にはほのかな光がともっていた。
 
「無視するか? 人なら騒ぎを起こしたくないし、人外なら衝突を避けたほうがいいだろ」
 アリウスの言うとおりである。ここは避けて通っても構わない。
「……まあそうなんだが」
 清隆は実際に昨日の幻灯機を見ていたのである。だから少しだけ、正体を知りたいという心が働いた。
 そして、おそるおそる本堂の扉の格子から、中をのぞき込んだ。
 
 本堂の中は薄暗く、ろうそくの明かりが数本だけ照らしていた。
 そして昨日の山野サーカス団の団員たちが輪になって静かに食事をとっている。清隆の位置からだとなにを食べているのかまでは分からなかった。
「…………っ!?」
 清隆は最初なにも思わなかったが、一点だけ明らかにおかしい。
 ろうそくに照らされた影の形が異様だった。
 頭からぴんとのびた大きな耳がある。
 
「おい、来客だ」
 
 清隆が下がろうとしていた矢先、団長の声が本堂に響いた。
 音なく団員たちが一斉に本堂の外を向く。
 清隆は覚悟を決めて、本堂から顔を離さずに大きく後ろへ下がった。
「どうした!?」
 後ろで様子を見ていたアリウスが驚いた。
「刀を」
 清隆が手を伸ばすと、アブドルが抱えていた刀をさっと手渡した。
 その間に、本堂の扉がバン! と大きく開かれ、中から一斉に団員たちが飛び出してきた。
 姿は影でよく見えないが、ほとんど四つ足で走るように動き、長い爪で清隆に切りつけてくる。
 清隆はアリウスたちをかばうように立ちふさがり、刀で攻撃を受け止めた。
「おや、誰かと思えば、昨日のお客さんではないですか。おかしいですね、まだ幻灯機に惑わされていると思いましたが……」
 本堂から最後に出てきた団長が清隆を見て言った。
「やはり昨日のあれは術か」
「仰るとおり。しかしこれはサーカス団の秘密です。秘密を知ったものは生かしておけません」
 団長が合図すると、清隆とアリウスたちの元にさらに数人の団員たちが飛びかかる。
 
「…………っ!!」
 
 黒い影が二人を埋め尽くし、もうアブドルから姿が見えなくなってしまった。小山のように群がった団員たちがうごめいている場面しかみえない。
「ひぃっ!」
 アブドルは黒い翼を出して空中へと逃げた。
 
「うん、あの小僧は烏か、蝙蝠ですかな。だとすると飼い主は人間の術師というところか……いずれせよ、もう命はないでしょうがね」
 うごめく団員たちを見ながら、団長は満足そうにつぶやいた。もう先ほどいた二人は団員たちに食らいつくされてしまっただろう。
 
 ……しかし、様子がおかしい。いつまでたっても団員たちがその場を離れないのだ。
「うん、どうした?」
 団長が近づいて様子をみると、思わぬ事態が起こっていた。
 外側にいた団員は刀で貫かれ、内にいた団員は首や胸元から血を流して死んでいる。死体の山と化していたのだ。
 悲鳴などが聞こえなかったのは一瞬のうちに終わってしまったからに違いない。
 
 未だ流れ出ている血は山の内側に向かって流れ込んでおり、ぴちゃぴちゃと何者かが飲んでいる音がする。
 飲んでいるのは誰か、そこに思考が至ったとき、団長はあわてて山から身を引いた。
 
「おとっつあん、どうしたの……うっ!」
 娘の八雲は団長がなかなか戻ってこないのを気にして外にでてきたが、惨状を目の当たりにして息をのんだ。
 
 やがて水音も完全になくなり、乾いた死体がはらはらと地面に落ちていく。そしてその中央には、清隆、アリウスの二人と思わしき影がたっていた。
 服こそ血まみれだったが、肌や髪の毛にはほとんど血がついていないのが異様である。これは体内に吸収されてしまったからであるが……。
 
「あ、あんたたち……!!」
 八雲は二人の視線を向けられると、それ以上声を出せなかった。といっても二人が鬼のような形相をしていたわけではない。特に清隆の顔は平然としており、普段の人間たちに接する時と変わりない。アリウスは若干怒っている表情であるが、そこまで深刻でない。ちょっと邪魔されて苛ついた時、の表情とでも言うのだろうか。
 
 そう、二人にとってはこの程度の襲撃は小蠅を追い払う程度の出来事にすぎないのだ。
 
 八雲が声を出せなくなってしまったのは、それくらい二人と自分の間に、力量の差があることを思い知らされたからだ。
「お、お許しを……」
 先に折れたのは娘だった。立っていることもできなくなり、その場に倒れ込むようにひざをつくと、涙を浮かべて許しを請うた。
 団長は娘がすっかり戦意をなくしてしまったのを見て、降参するしかなくなった。
「わ、悪かった、この通り、娘だけはお助けを……」
 
「どうする清隆、なんか俺たちが悪人みたいになってるんだけど」
 アリウスが気の抜けたような表情で清隆を見た。
「まあ向こうから攻撃されたわけだけど、やりすぎてしまったのも確かだしな……」
 清隆は刀を鞘におさめると、そのまま、団長と娘たちの方に近づいてきた。
「う……」
 二人はひざをついたまま、清隆のことを不安そうに見上げた。
「血の味で何となく分かったけど君たちは猫か?」
「は、はいそうです先生」
 団長が地面に手を着けて答えると、顔に髭が何本か現れた。正体が分かってしまうと幻術は解けやすい。
「かしこまらなくていい。村中の子供を幻術にかけるとは、何か特別な仕掛けでもあるのかな」
 猫のあやかしは狐や狸と違い、どこにでもいるがそれほど強力な力を持つものは少ないという認識だった。
「あ、あの、幻灯機もあやかしなんです。つくもがみです」
「なるほど、ちょっと持ってきてくれないか」
「はあ……わかりました」
 団長はあわてて堂内に戻ると、サーカスの時と同じ幻灯機を運んできた。
 
 つくもがみとは、古くなった物体が意識を持つというあやかしの一種である。種類は家財道具であったり、山の中の大きな石や木であったり、さまざまである。
 地面におかれた幻灯機は、一見ごくふつうの古い機械でしかなかった。
「幻灯機、きこえるか」
「先生、こいつは話せないんです」
 清隆が話しかけても、幻灯機の返答はない。
「じゃあどうやって今までこのあやかしの力を借りてきたんだ?」
「向こうから話はしませんが、こっちの話は聞けるみたいです」
「そうか……じゃあ仕方ないが、言うこと聞くのを待っている暇もないしな」
 清隆は刀を抜くと、ためらいなく幻灯機をたたき斬った。
 
 ギャーッ!!
 
 あたり一面に人のものとは思えない叫び声が響いた。といっても森の中なので清隆たち以外に聞いたものはいないだろうが。
 まっぷたつに割れた幻灯機は中から血のようなドロリとした液体を出すと、煙をもうもうと噴きだす。
 風が吹いて、煙が完全になくなると、さっきまで幻灯機のあったところに古い割れた茶碗があるだけだった。
「肉ができはじめてた……もう数年位すれば人型になってたかもしれないな」
 清隆はつくもがみを斬った感触を感じながらつぶやいた。人や獣を斬ったときと何ら変わらなかった。
「じゃあ帰るか、アリウス」
「ああ」
「あ、あの、私らは……」
 団長が帰ろうとしている清隆たちをあわてて呼び止める。
「うん、勝手にすればいいさ。つくもがみがいなければ、もうあのような幻術は使えないだろう?」
 そうして清隆たちは団長と娘を古寺に残したまま、夜の森の中へと消えた。

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